2014年11月26日

狂犬VSゾンビ 2

不精も煽てりゃ筆を取る。

MU『狂犬百景』観てのZファン視点での考察/評論/感想文が割と好評だったみたいで嬉しい限り。それで単純にも図に乗ったのと、少し時間置いたのによって、もう少し書きたい熱が出たので余計な補足を。

ラストシーンについて、だ。

俺は『狂犬百景』について、非常にゾンビモノらしいという感想を述べたが、ラストシーンについては少し違う視点を持った。。既存の、というか普通のゾンビモノではあり得ない、というか書けない、ひとつの「救い」を俺はあのラストシーンに見たのだ。
と書いたものの、「救い」という言葉が適切かはまだ迷っているのだが。「救い」と言うのにはあまりに救いがないのだ。

4景の最後、舞台後方の階段から私刑を受けた漫画家たちが姿を現わす。それこそゾンビのようなボロボロの姿で。
その前には、1〜3景の登場人物が数人、各々何かを待って座っている。しかし彼らはゾンビのような人間には、全く気付いていない。
ややあって、漫画家たちは自分を傷付けた動物愛護団体の男がいないので、階段を降りて消えていく。
舞台中央の犬を抱えた女性が呟く。
「罰、か」

記憶違いがあったらごめんなさい。細かい部分(ダ・ヴィンチの編集者の痣とか)は省くと、大体このようなシーンだったと。

これの何処がゾンビモノで描き得ないかというと、ゾンビがココにいなかった、という点だ。

ワザと解り辛い書き方して引っかかりを作ろうとするのは悪い癖だ、要するに。

ゾンビには意志がない。だから選択もない。
ただ目の前の肉塊を喰うことのみを目的とする。それが誰で何であろうが構わない。老若男女平等に彼らは殺す。
そして死体が増え、ゾンビが増える。そしてまた無差別な殺害と捕食が続く。その連鎖が、ゾンビという現象だ。

だから普通のゾンビモノだったら、最後に現れたゾンビ達は、眼前の人々を喰わねばならない。
ゾンビには意志はないのだから。意志がないから、殺し喰らう対象を選択しない。
そうやって無限に繋がる暴力と破壊の連鎖。
ゾンビは意志なき大衆の象徴だ。彼らは人間性とともに目的も対象も失って、その牙を一番近くの自分より弱い存在に向ける。最早相手が誰であるかなどどうでもいい。腹さえ満たせれば。
ゾンビとはそういった、集団となった人間の、無差別に拡散・連鎖していく暴力や悪意を象徴化したモンスターなのだ。
だから、『狂犬百景』に出てくるのが本物のゾンビなら、ラストシーンで階段を降りはしない。自分たちと同じように狂犬騒動で日常を奪われた人々に襲いかかるシーンで、エンドマークが出るだろう。

彼らが、ゾンビなら。

そう、しかしこの物語に「ゾンビ」はいない。
いるのは、既に失った日常にしがみつくことしかできない、狂気に陥りながら「自分」を棄てられない、「人間」だけだ。

だって、彼らは階段を降りたから。
例えそれが特定の人間に対する強い憎しみに因るものだとしても、彼らは目の前の、何も知らず唯待っているだけの人々を、傷付けなかったから。自分たちと同じく狂ってしまった無力な人々に、牙を向けなかったから。
少なくとも、彼らの暴力には意志があった。目的があった。
人は悪意と無縁に生きることはできない。生きていれば必ず誰かを憎み、怨み、呪う。時にそれは抑制が効かずに、暴力として発現する。

ただ。
せめて矛先だけは、自分で選んでくれ。
その悪意の対象に、向けてくれ。弱き者に向けるのではなく。
無差別な暴力は、まるでゾンビじゃないか。

もう一度言う。『狂犬百景』に、ゾンビは出てこなかった。
非日常の、狂気と悪意の物語の中で、最後に一欠片の人間性を、俺は見たのだ。
人は、どれだけ狂気に陥っても、ゾンビにはなれない。意志を、選択を、人間性を、棄てられない。
それを「救い」と呼んだって、いいじゃないかと思う。

それと同時に、何処まで行ってもゾンビにはなれないことには、少しの絶望もある。
我々は決して「自分」から解放されないのだ。ゾンビという一つの解決策が取れないのなら、楽はできない。悩んだまま、怨んだまま、生きていくしかないのだ。
荒木飛呂彦は「ゾンビとは癒しである」と書いた。悩める現代人にとって、何の意志も持たず空腹を満たすゾンビは、理想の姿だと。ゾンビアポカリプスは、ある意味でパラダイスだと。

ただ。それは解るけど。
俺はゾンビは嫌だよ、人間でいたいよ。意志を失うくらいなら、憎しみの方がマシだ。

この物語は、「罰、か」という台詞で終わる。
ただその言葉を吐いた彼女は気付いていない。
今まさに、彼女の言う一つの「罰」は、回避されたのだ。
ここにゾンビは、現れなかったのだから。

そんな救いようのないかも知れない、でも「救い」と呼ぶしかない景色を、俺はあのラストシーンに見たのだ。

と、大上段から論じてしまったので、全然まとまらず時間と体力切れ。残りは軽く所感でお茶を濁します。

・4景で流れる『ゾンビ』のショッピングモールの曲が使われていて(ここニヤニヤするところですよ皆さん!)「おっ」となったけど、物語の中でも流れていたにも関わらずあのゾンビ好きの娘が少しも反応しないので、「さてはお前は俄かか!?」と少しだけ嫌いになったオタクな自分が嫌いになったこと。
・『アメージング・グレイス』の替歌がワザとなのか何なのかワンフレーズ分メロディが足りなくて、それが絶妙に気持悪かったこと。
・楽屋との目隠しに段ボールが積まれた壁が使われていて、「まさかココが崩れるとか隙間から沢山の腕が突き出すとかそういうゾンビ描写か!」と少し期待すると同時に「MUでそれはやらないだろ」と思いつつ一応その近くに座ったこと。
・そそくさと退散した原宿の街で、統一教会の街宣車がガナってて、思わず笑ってしまったこと。

俺にとっての『狂犬百景』、でした。


posted by 淺越岳人 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。